"The Breakfast Club"を知っているか?

アメリカ人の友達に「ブレックファスト・クラブ知ってる?」って聞いたら、「知らない人はいないよ、アメリカじゃ」って返ってきた。

アメリカじゃ人口に膾炙しまくった映画、ジョン・ヒューズ監督作「ブレックファスト・クラブ」(1985年、アメリカ)をご存じだろうか。ちなみに、今のところ(2018年10月末)ネットフリックスでいくらでもおかわりできる。
本国では人気を超えて常識というか、知ってて普通なこの映画、筆者はめちゃくちゃ好きだ。好きだから何十回と見た。そして、いい感じに飽きて、それでも好きだ。この間は立川シネマシティで極音上映してましたね。最高でした。

幾層もの伏線が回収される様が面白い?・・・・・違う
登場人物が魅力的?・・・・・それは一理ある
見てる人を飽きさせない展開?・・・・まあ、それも無きにしも非ず

エモい?・・・・・エモいよ!

結局エモい。

【あらすじ】
寒さの残る春先のある日、5人の高校生が懲罰登校を命じられる。集まったのは、「がり勉」、「スポーツバカ」、「お姫様」に「不思議ちゃん」、そして「不良」。日頃はまったく接点のない5人が、図書室に集められ、一日がかりで「じぶんとはなにか」というテーマで作文を書くことを命じられる。おとなしく作文を書くわけもなく…。こっそり図書室を抜け出して冒険したり、マリファナを吸ったり、なんとなく自分のことを話しながら、5人はお互いを知り、認め合っていく。

スクールカースト」という言葉になじみのない80年代に、スクールカーストを提示し、後々の青春映画にも影響を与えている映画だ。2018年でいうと、ドウェイン・ジョンソンの『ジュマンジ』の冒頭なんて、もろに『ブレックファスト・クラブ』ですね。アナ・ケンドリックの『ピッチパーフェクト』でも「最高の映画」としてそのまんま引用されてます。「不良」くんのジョン・ベンダーのガッツポーズのシーンが出てきますね。あのシーンは爽やかで、大変映える。

接点のなかったはずの5人が集まって、涙ながらに語り合い、気持ちを交わすさまは、なんだか甘酸っぱくてとても素敵なのですが、一方でとても切ない。
なんで切ないかって、おそらくこの1日の出来事が直接的に彼らの世界を革命するほどの力は持たないから。人生のうちのたった一瞬の出来事だ、ということが暗示されているからだと思う。でも、それを経験しているかどうかで、人生の細部はきっと変わってくる。きっと、「お姫様」はすぐには人から注目あつめる生活をやめられないし、「不良」の家庭問題と自己肯定感の低さはこれから彼が戦うべきこと。彼らの間に芽生えた友情も恋情も、生まれたての若葉のように頼りない。すぐに寄り添い合うには、時間も経験も足りないでしょう。

これは、一種の願望であり、考察だけど、それでもかれらは、この一日を忘れないだろう。ことあるごとに思い出して、心を寄せる。そんな経験の1日。

大絶賛したいところだけれど、理解できない点もある。

まず、「不思議ちゃん」のアリソンと「スポーツバカ」のアンドリューの恋。彼らは心に抱える問題をぶつけ合い、やがて恋に落ちる。しかし、そのきっかけが少し疑問だ。なにせ、アンドリューがアリソンを意識するのは、「お姫様」がアリソンのゴスっぽいメイクと服をはぎとってからなのだ。アリソンは、「好きな」ゴスっぽい風体のままじゃアンドリューに恋してもらえない。つまり、スクールカーストでいえば、アリソンは下部か欄外なので、階級を変えさせられることを余儀なくされてしまうストーリーなのです。ほかの4人が、自分をさらけ出し、他者の承認を得るのに対して、アリソンだけは、「そのまま」ではいさせてもらえない。この点は疑問が残るし、アリソン役の俳優も、監督に対して抗議したようです。

それから、やはり他者承認が恋愛に帰結してしまう点。「お姫様」は「不良」と、前述のアリソンはアンドリューと恋の兆しが芽生える。残された「がり勉」は?彼だけは一人、自分で自分を肯定する。自己肯定も大切だけれど、他者に自分を認めてもらう作業を映画のなかでやっているのに、結局恋愛か否かの構図が出来てしまうのは、やるせない。自分で自分を褒められる「がり勉」くんは素晴らしいけどね。

現代の映画は、『ブレックファスト・クラブ』が作った枠組みを、リライトする試みを続けている。『ピッチパーフェクト』は、『ブレックファスト・クラブ』同様に様々な背景の登場人物がいるけれど、自分をさらけ出して他者承認を得る。『ブレックファスト・クラブ』を下敷きに、いろんな青春映画を考察することは面白いので、ぜひ本作を見てみてほしい。特に、アメリカ文化に親しみを感じる人は、ピンとくることが多いんじゃないでしょうか!