音楽が鳴っているから/津村記久子的音楽と人生の話
『一種のドーピングのようなものなのだ。音楽を聴いていないと手も足も出ないときがある。物理的にも、そして数分をただ息をしてやり過ごすだけのことにさえも』
津村記久子の名著(誰が何と言おうと私は名著だと主張する)に、こんな一文がある。極上のパンチライン。個人的には、この小説にはパンチラインがちりばめられていて、その塩梅が最高に小気味良い。
音楽を愛する、でも何事にもうまく立ち回れない女子高生の1年間の話だ。音楽を聴くとき、音楽と自分の関係を考えるとき、小説を読むとき、常にこの小説を思い出す。
さて、先日、Me First and the Gimme Gimmesのライブに行ってきた。『ミュージック・ブレス・ユー!!』の主人公のアザミは、Blink182、ディセンデンツ、New Found Gloryとか、BAD RELIGIONとか、ジミー・イート・ワールドとかが大好きという設定なので、きっとギミギミズも気に入っただろうな、と思う。この小説が書かれた当時、Blink182は活動休止中だったけど、今は活動再開したし、アザミもきっと喜んでるだろうな。
ギミギミズのライブ、最高にぶち上がったわ~というより、「とても楽しくて、おだやか」に観れた。心地よかった。その日は仕事があって、なんなら私は仕事がうまくいってなかったので、心がくたくただった。でも、忘れた。ふくらはぎが張って痛いことも、今日も明日も会社員である私のことも、全部忘れて、その時、私はただの本名「私」に還っていた。一瞬、自分の設定を忘れたというか、なんというか。何者かになりたくてなれない、実存的な悩みが霧散するのだ。
もう一個、津村記久子的パンチラインを紹介する。アザミの友達のパンクキッズが宣うこのセリフだ。
『音楽について考えることは、自分の人生について考えることより大事やと思う』
大学進学を前に言うセリフなのだけれど、これは音楽で現実逃避がしたい人のセリフではない。むしろ、自分の人生に音楽を介在させて、音楽を通じて自分の人生を考えた青年のセリフなのだと思う。人は、自分の人生を考えるとき、「人生」そのものだけを材料には考えられない。この青年は極めて純粋な形で、損得も利害も超えた場所で鳴っている音楽を反響版にして、人生を考えている。
音楽に求めることが、ただの楽しさでももちろん肯定されるべきものだ。
でも、私がギミギミズでそぎ落とせるだけの社会的「私」の要素を落として楽しんだこと、「音楽を考えることが人生についてより大事」な彼も、音楽を介して生の形に触れた。そりゃ、仕事の憂さ晴らしにもなったけどさ、音が体を貫いた時にこの瞬間のために生きているとも思ったけどさ、ただそこにある「生」を感じて、思って、魂の祖形を思い出した。
『一種のドーピングのようなものなのだ。音楽を聴いていないと手も足も出ないときがある。物理的にも、そして数分をただ息をしてやり過ごすだけのことにさえも』
音楽を利用して、自分と社会をつなげているとき、このセリフを思い出す。このセリフから受ける感覚は、世界とのネゴシエーションがうまくいく人には伝わりにくいかもしれない。アザミは、何事にもひっかかりながら生きる。社会との調和が時々難しい人だ。彼女と音楽との付き合いを追いかけながら、「私もそうだよ」と、今日も音楽を聴いて、ライブのチケットを予約する。